第30代(大内15代)大内義興・夫人の墓-凌雲寺跡

幻の大伽藍(だいがらん) 凌雲寺(りょううんじ)

 凌雲寺跡は、吉敷中尾の三方を山に囲まれた台地にあり、惣門跡(そうもんあと)といわれる東西に延びる石垣が残っています。この石垣は高さ約3m、厚さ約2m、長さ約47mで、巨大な自然石が用いられています。

 凌雲寺に関する資料はほとんど無く、宗派や山号は不明ですが、開基は大内義興(よしおき)で開山は京都五山の臨済宗東福寺の了庵桂悟(りょうあんけいご)とされています。

  言い伝えによれば、天文17年(1548)に焼失した説や、天文20年(1551)大内義隆が陶晴賢の謀叛(むほん)によって法泉寺からこの寺に逃れ込もうとしたとき、寺の僧が災いを恐れて門を閉じ寺に入れなかったので、寺内の鼠が寺の仕打ちを恨んで、火の付いた縄をくわえ天井裏を走り回り、焼失したと伝えられています。

 しかし、毛利輝元が父隆元の七回忌法要を永禄12年(1569)に凌雲寺でおこなったという記録もあり、毛利氏の時代まで存在していたようです。

 現在は本尊と伝えられる阿弥陀如来坐像と開山了庵桂悟像、毘沙門天立像、大内義興の位牌、十四神名牌が残されているのみです。

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2010年05月05日