秋穂-正八幡宮

山口市指定有形文化財
石造庚申塔
平成十年三月二十四日指定
「庚申」の夜は「三尸虫(さんしちゅう)」が寝た体から出た天帝にその人の罪遇を告げる。そのため、この夜は「庚申講」など仲間が集って夜通し昔話や世間話をして夜を明かす。
この石塔は花崗岩製で、笠があリ、台石の上に立つ。塔身の正面を舟形に彫リくぼめ、邪鬼を踏まえた青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)を薄肉彫する。上方に日月(にちげつ)、下方に三猿(さんえん)、雌雄の鶏が彫られている。
石像の右端に「元禄五庚申(かのえざる)年華摘各中(はなつみかくちゅう)逆修」左端に「七月吉祥日・本願内田正左衛門」とある総高一六〇㎝ 塔身正面幅 五十五、五㎝ 側面幅 二十六㎝ 高さ 一二五㎝である。
県下最古の刻銘のある「庚申碑(こうしんひ)」で、貴重な民俗資料である。
山口市教育委員会
設置年月日 平戊十四年三月吉日

山口県指定有形文化財(彫刻)
能面(一〇面)
昭和四一年六月一〇日指定
仮面の裏に記された刻銘によると、文明年中(一四六九~一四八六年)のもの四面、延徳四年(一四九二年)のもの一面、刻銘はないが室町時代の製作と見られるもの五面、計10面である。これらの仮面のうち、作者の判明しているものは・文明年中の四面で、秋穂大夫重成(しげなり)の銘がある。重成が何人であるかは明らかでないが、文明一七年に書写された同社の「八幡縁起絵巻」の画図筆者に佐伯重成がおり、同一人物ではないかと見られている。延徳四年の銘のある面は市太夫の作、鼻高の面は予州中人三嶋大夫の作と伝えられている。現在、これらの仮面がどのような神事芸能に使用されたかその伝承を失っている。しかし、幕末期に編纂された『防長風土注進案』によれば、正月三日・七日十五日・二月朔日・八月朔日に神楽舞があったことが記されている。彩色が江戸時代の後補であることからも当時、ここ正八幡宮拝殿で行われた『細男(さいのう)の舞』という神楽舞に用いららたことが考えられる。いずれにしても中世在銘の仮面がこのように伝存していることは貴重で、中世の神事芸龍を知る重要な資料である。なお、この能面は、県立山口博物舘に寄託してある。
山口県教育委員会
山口市教育委員会

国指定重要文化財
正八幡宮本殿・拝殿・楼門及び庁屋(ちょりのや)三棟
平成元年九月二日指定
山口市秋穂西
本社は、弘仁五年(八一四)に宇佐から八幡神を二島の古宮の地(現山口市秋穂二島)に勧請、文亀元年(一五〇一)に大内義興が現在地に移築。棟札等によれは、江戸時代の元文五年(一七四〇)藩主毛利宗広が改築したのか現建物である。本殿は、三間社流造りで、屋根は桧皮葦、周囲を霧除けで覆っている。また、正面の一部に室町期の蟇股が、残っている。拝殿は、桁行三間、梁間三間入母屋造りで、屋根は桧皮葦、三方に廻縁を付し、正面に石段が付く。楼門及び庁屋は、桁行一間、梁間一間入母屋造りで、屋根は桧皮葦である。正面に向拝が付き、左右に翼廊状の庁屋がとりつく構成で、山口県によくみられる特徴ある形式である。この本殿・拝殿・楼門、庁屋か軒を接する建築様式は、室町時代に山口地方で発生した神社建築様式の独自な景観を示すもので、その規模、彫刻等本殿や楼門なとの特徴ある形式は江戸時代を代表する県下第一の神社建築であり、貴重な遺構である。

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2011年09月29日