概要
姫塚
弘治三(一五五五)十月杉氏に若山城が攻られ落城ー。炎上する城を見て、陶氏の姫様がこの地で自害ー。村人たちが悲しんで念ごろ(懇ろ)に葬った。
花河原 お姫塚
市道花河原線の下花河原で左に折れて雑木林を約四〇〇メートル行くと、灌木の茂みの中に山石を七〇~八〇センチ積重ねた石塚が見えてくる。丁度木々の間から若山城跡が望める場所である。
花河原の姫塚陶晴賢の娘(名不明)兄長房に会うため若山城に駆け付ける。
花河原に来た時、若山城は焼落ちた。この地で自害す。
戦国の武将陶晴賢には兄長房と三人の弟と妹姫一人を含む四人の兄妹があった。
父晴賢が厳島で毛利元就に破れ、兄長房が若山城で包囲されたことを聞き、病をおして城の見える花河原まで駆け付けた姫の目にうつるものは、焼けて落ちゆく若山城であり、耳に聞こえるものは敵杉重輔の手下共の勝閧(勝鬨かちどき)の蛮声ばかり、姫は、ここ若山城の見える地に葬ってほしいとの遺言を残し若い蕾は散った。そのとき八才であった。
菊川のむかしむかしS61.3.20(非売品)抜粋