七尾山城(七ツ尾)

 

1960年代

写真は1960年代のものだが中央の鼻糞をホジッテいるのガキが私で正に七尾山で遊んでいる。この頃は現在の2号線は出来ておらず、この七尾山には住宅も、ありませんでした。小高い山で子供でも簡単に頂上の登頂出来、頂上には沢山の古い陶器が出土していました。

人口の穴もあり、その穴は麓から頂上まで達してました。その穴の麓出口に大きな岩があり定期的に祈祷師のような方が来てお経を唱えていた記憶が鮮明です。

~余談~

実は私が歴史に興味を抱いた理由は七尾山城にあります。私は誕生から現在まで三転しており不思議な事にその三居住地ともに山口県史に係わる場所です。

20年後

この写真は前述の写真の約20年後で既に2号線は完成していますが、未だ七尾山には住宅が出来ていません。手前の四熊家(筆者の遠縁)の裏山にも麓から頂上までの穴があり、当初「探検」と称して穴を潜り抜け遊んでいたので母親に叱られた記憶があります。この裏山と七尾山は当初は繋がっており高低差から四熊家裏山が二の丸ではなかったかと察する事が出来ます。支城にしては大規模で2つの逃げ道を完備する重要な拠点(城)だった事が伺えます。※現在四熊家は文化財に指定されています。無断で入ると罰せられます。

七尾山の東麓(写真では→側麓)には鳥居と祠があり所縁が判らない為「市」に書面で問い合わせてみましたが「不明」との回答でした。七尾山城に係わるものの可能性もあります。

当初の七尾山城

創作に過ぎませんが移転されていない古い建造物や古地図から作ってみました。

位置関係

通説からですと①七尾山城、②居館、③上野の城山、④別府城<参照>。このうち信憑性が非常に高いのは①七尾山城と④別府城です。

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2010年03月22日