白坂山城(白迫山・高壺山・白城山)

地理院地図

概要

鷲頭氏

周防国権力者大内初代(多々良)盛房3男盛保は鷲頭庄(下松の旧名)を領地とし鷲頭氏を名乗り旗岡山、鷲頭山、白坂山、茶臼山等に城や居館を構える。盛保の子親盛には男児でおらず娘が宗家大内氏より7代当主重弘<山口乗福寺>の弟「鷲頭長弘」を養子とし後継者とした。南北朝期宗家大内と度々対立するが大内宗家に帰順する。室町期大内氏11代当主盛見期には長門国代官となり鷲頭弘忠により大寧寺を建立<参照>、その後長門守護代となり深川城を始め亀山城・堅田城・沢差城・岩尾城を築くが文安5年(1448年)大内氏13代当主大内教弘により滅亡する。

鷲頭長弘(わしず ながひろ)

周防大内氏6代当主大内弘家の子、長男7代当主重弘<山口乗福寺>の弟、南北朝期、後醍醐天皇に使え8代当主を据え置き周防国を守護、暦応4年(1341年)に大内氏の氏寺である氷上山興隆寺を焼失させる。死後子弘直が家督を相続するが大内氏第9代当主大内弘世<山口乗福寺>により宗家大内に帰順。

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2010年05月07日