大島神社

概要

役の行者の像 ずっと昔、今から千年以上も昔、奈良時代に役小角という人がいました。人のいけそうもない高い山にのぼり深い谷を幾日かかって歩き大自然の霊気にふれて心を清くし何度もあぶないことがあって、私はすでに死んでいるはずである。それが今生きているのは阿弥陀さまが私を守って下さったからだ私のからだには仏さまがついていて下さる何も心配すること恐れる事もないといふ自信をもって世に処した人です。そばの丸い石は道案内をして下さった道祖神のしるしです。こうした修行をする人を山伏とか修験者とか行者とか言ひます。

古老物語(防長古今見聞集、三坂圭治、マツノ書店)には「扨(さて)小次郎殿筑前にて様子被承候て、輝元公へ御恨ミ申上候とて船にて被羅帰候処を、隆景公より椙を御討果被成候」杉小次郎は小早川隆景により殺害されたとある(杉小次郎の菩提寺は興元寺)。杉氏は弘治1年(1555)10月、陶晴賢が厳島で敗死し陶氏が滅亡すると現在の周南市徳山地区の守、野上氏も滅亡する。そして杉元相が野上(周南市徳山地区)を守しこの地に居館を構え毛利氏に従ずる。その子である杉小次郎元宣は天正17年(1589)3月、毛利輝元に妻(児玉元良の娘)を奪わる。元宣は主君を豊臣秀吉に訴えるため船出するが野上庄沖「大島の船隠」で小早川隆景に殺害され杉氏は父子20年で滅亡する。大島には「大島の船隠」と思える場所があり近くに大島神社があるがその脇に墓地がある。その墓地の入り口に六地蔵が並んでいるがその横に室町時代の五輪塔がある。大阪に向かう際、一人で向かうことは考えられないが、もし、これがこの事件にまつわる墓であれば隆景に殺された主従の墓かもしれない。

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2010年05月09日