漢陽寺と潮音洞

概要

鹿苑山漢陽寺かんようじ

 漢陽寺は、鎌倉時代末から室町時代初頭のころ大内氏によって建立されたと伝えられています。開山は用堂明機禅師で、明国留学中にみた漢の洛陽城の地形がこの地によく似ていたところから漢陽寺と名づけたとされます。

 漢陽寺裏山に掘られた潮音洞は、一七世紀の中頃、岩崎想左衛門重友が鹿野台地の農業用水や住民の生活用水を得るために掘りぬいた水洞で、昭和四十一年に県指定文化財(史跡)に指定されました。

 また、当寺院の庭園は重森三玲の作で、本堂前庭の「曲水の庭」をはじめとして、日本庭園の様々な手法を一覧することができます。

Kanyo Ji

Kanro Ji is believed to have been buiIt by a member of the Ouchi famiIy between latter Kamakura and early Muromachi era.

Chouondou, behind Kanyo Ji, was excavated by Iwasaki Souzaemon Shigetomo ln the middle of the seventeenth century ln order to supply water for viIlagers and farmers.

Chouondou was designated as a cuItural heritage of Yamaguchi prefecture in the forty-first year of Showa.

The garden was designed by Shigemori Mirei depioting varlous styles such as kyokusui no niwa which is in front of the main tempIe building.

周南市教育委員会

 

山口県指定文化財(昭和四一年六月一〇日指定)

潮音洞

 潮音洞は、慶安四年(一六五一)に、鹿野村の住人岩崎想左衛門重友が、水利獲得と小谷原の開作をめざし、漢陽寺裏山を掘り貫くことを藩に願い、私財を投じて足掛け四年の歳月をかけ、承応三年(一六五四)に完成させた隧道です。

 この人工水路は、渋川の取水口から洞人口まで、約八七〇メートル、洞の長さ約八九メートルで、藩政初期の水利民生事業として最古というべきものです。

 鹿野台地約一〇〇ヘクタールは、錦川に比べて土地が高いため、全く水の便に恵まれない土地でしたが、この潮音洞の完成によって、当時の農地約二一ヘクタールと、新田開作約四〇ヘクタールが潤されるとともに、付近の民家約三〇〇戸の飲料水、さらには防火用水を得ることができるようになり、現在もなお多くの恩恵を与えています。

周南市教育委員会

寄贈 太華工業株式会社

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2010年09月11日