概要
周南市指定文化財
菅蔵(すげぞう)石塔群
平成元年四月二十八日指定
宝篋印塔(ほうきょういんとう) 宝篋印塔は初め法華経などの経典を納める供養塔でしたが、室町時代中期から江戸時代初期の頃には、主に豪族の墓として建立されるようになっています。この塔は、室町時代の初期のものですが、塔身部と相輪部が失われていて完全な姿ではありません。防'長風土注進案に、この塔は金峰神社社家石村悪太郎義秀の墓と、記されています。
層塔(そうとう) 層塔には白鳳時代の古いものもありますが、建立が盛んになりますのは、他の石造物と同様に鎌倉時代からです。この層塔も鎌倉時代のものでずが、層塔には三重、五重、七重、十三重のものが多くみられ二重のものはめずらしいとされています。軸部の四面にはバン・バク・アー・ウーンの梵字(ぼんじ)が彫られています。防長風土注進案に、この塔は権代肥後之助の墓と記されています。
板稗(いたひ) 板碑は死者の追善供養のための石碑で墓標のことをいいます。この板碑は南北朝時代のものといわれ正面に不動明王の梵字カーンマーンが彫られています。
大日角塔婆(だいにちかくとうば) この塔には明徳元年(一三九〇)の刻銘がありますので、南北朝時代末期に建立されたもので、正面に金剛界大日の梵字バン、胎蔵界大日の梵字ア、蘇悉地(そしつち)の梵字ウーンが彫られています。
平成十七年二月二十一日
周南市教育委員会
寄贈 周南西ロータリークラブ