カッパ伝説-錦電橋

概要

中原に伝わる「かっぱの詫び証丈」今も残る、いたずら好きなカッパの伝説文明11年(1479年)夏のこと。当時の須金地区在治めていた鶴岡春重は、大内教弘(のりひろ)から桔梗という名の馬をいただいたそうです。ある日、厩(うまや)の者が、現在の錦電橋付近の川べりにその馬をつなぎ、草を食べさせていると、この川に住んでいたカッパ(えんこう)が2匹出てきて馬に砂を投げつけたりして遊んでいました。そのうち、一匹のカッパが馬をつないでいた綱を体に巻きつけ、馬を川に引きずり込もうとしたそうです。驚いた馬は逆にカッパを引きずり、中原の土井の屋敷に駆け戻り、厩に引きこもってしまいました。これを見ていた民衆は厩の戸口を取り囲み、カッパを生け捕りにし、屋敷の門柱に縛り付けたそうです。それを聞きつけた鶴岡春重は、このカッパに向かってこう言いました。「お前はいたずらものである。馬を川に引き込もうとするなど言語道断、打ち殺すべきである。だが、後年に至るまで当家の一族はもちろん、下人牛馬にいたるまで悪さをしないと誓うならば一命は助けてやろう」すると、カッパはいかにも聞き入れたようにかしこまり静かになったので、証文をしたため、カッパの手形を押しました。そして、門の外の石の上にエノキを一本植え、カッパの手を取り、札を書きました。その札には「猿猴来植是」と書かれていたそうです。さて、カッパはしばらく門柱に縛られていましたが、召使の小晒(おせい)という女が、水を持って厩へ行こうとしたとき、「お前の顔は見飽きた、さても見苦しき顔かな」と言って手に持っていた水を投げかけたところ、カッバは水気を得て力が付き、つないでおいた綱を引きちぎって一目散に川へ飛ぴこんだそうです。そのあと、夜中に2度、小晒の部屋の前にハヤやスナフキなどの魚が置かれていたそうです。これは水をかけて元気になり、逃げることが出来たカッパのお礼であった、といわれています。中原には「えんこう(カッパ)の釜」と言われる深い淵があります。その淵の東に広い川原があり、そこに馬をつないでいたと伝えられています。

須金まるごとマップより抜粋

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2010年09月11日