赤間神宮-平家一門の墓-七盛塚

概要

平家一門の墓 七盛塚(ななもりづか) 赤間神宮境内に、板碑及び五輪塔があります。建立は当時のものではなく(平安末期)信長政権末期の1600年頃に建てられたものだと考えられています。実際のお墓とは考え難く供養塔と思われます(五輪塔は除く)。14基はそれぞれ「左少將平-有盛」「右中將-平清經」「右中將-平資盛」「副將能登守-平教經」「参議修理太夫-平經盛」「大將中納言-平知盛」「参議中納言-平教盛」『伊賀平内左衛門-家長』『上総五郎兵衛-忠光』『飛騨三郎左衛門-景經』『飛騨四郎兵衛-景俊』『越中次郎兵衛-盛継』『丹後守侍従-平忠房』『従二位尼-平時子』です。

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2010年08月12日