国隠寺(こくおんじ)

概要

国穏寺こくおんじ
 この寺は、藩政時代、この地方特産の山代和紙の原料である楮こうぞを生産していた
村人達が、楮の増殖の祈祷と各家の菩提のため、念仏堂として建立したのが起源
とされています。宗派は浄土宗で、宝永5年(1704年)に国穏寺と定めましたが
明治中期に全焼しました。この地方にとって、和紙の生産は重要な生業でした
が、元禄末期頃から次第に楮の生産が衰えはじめました。そこで、楮の増殖をは
かるため、”身がい楮”制度などを設けたり、或いは萩城下から誠与上人-せいよしょうにん-という
僧侶を招き、楮増殖の祈祷を捧げたという記録が残っています。なお、本尊は阿
弥陀如来(恵信僧都作-えしんそうすい-)ですが、親鸞聖人の本像も安置されています。

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2010年07月05日