深川氏館跡と河内神社

概要

深川氏館
 深川の字山根にあった。深川氏は古くからのこの地方の豪族で、その創建にかかる深福寺(現、深龍寺)の前方、河内明神の社の右手に館を構えていた。天文年間(一五三二~一五五五)の当主を深川将監胤兼つぐかねといい、大内義隆に仕え、須川、深川、大野の三村(いずれも錦町)を領していた。
 胤兼が天文二年(一五三三)に伊予国分寺から求めて寄進した銅鐘一口、および天文十三年に修補した大乗経二百巻が深龍寺に現存している。
 胤兼はのちに姓を三家本と改め、備前と号した。故あって屋敷替えをし、古屋敷を深福寺に寄付したが、その後洪水のため流された。
 寛保(一七四一~一七四四)の頃までは土居がわずかに形を残していたというが、現在はその所在を明らかにすることができない。
~日本城郭大系-第14巻-鳥取・島根・山口 (1980年)~抜粋

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2010年08月03日