三浦越中守之墓所

概要

三浦越中守之墓所
 弘治元年(一五五五年)十月の厳島合戦は毛利氏と陶氏との一大決戦であった。
 陶晴賢の勇将[三浦越中守房清]は、晴賢の盾となって戦い壮絶な戦死を遂げたのであった。
 その墓は、ここから約三百米のところにあり、左図のとおり所々に案内板もある。
 何故、彼の墓が本郷に建立きれているのか委細由来はさだかではない。

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2010年07月08日