渡辺氏墓所

概要

朝霞城址・渡辺飛騨守の墓所
 朝霞城主渡辺飛騨守は弘治・天正・慶長(一五五五より一六一〇)年間、主君毛利元就~輝元に仕え、各地に転戦して武勲をたてた毛利家譜代の重臣である。
 慶長五年輝元は広島から萩に移封されたので飛騨守も周防山代の押さえ役として五千石の禄を与えられ当広瀬に朝霞城を構えていたが、慶長十七年二月二十四日七十五歳の天寿を全うしてこの地て他界した。
 この背後の山項部に、朝霞城の主郭や堀切の跡が残っている。位牌は長栄寺にある。
 向かって右側が正室、真中が本人、左側が摘子元の墓である。

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2010年07月29日