通化寺-つうけいじ-黄檗宗-大梅山

概要

史跡 遊撃軍陣営遺跡
 遊撃軍は、文久三年十月、蛤御門はまぐりもんの戦で壮烈な戦死をした来嶋又兵衛きしままたへえが藩命により三田尻で組織、狙撃隊そげきたいなど十三の諸隊に、のち周東町ゆかりの維新団も編入され、奇兵隊と同様維新回天の原動力として活躍。周東町へは、慶応元年三月対幕府戦備えて須々万村から移駐、通化寺に陣営を置き明治三年三月の解散時まで駐屯、この間、四境の役、鳥羽伏見の戦、奥州倒幕の役等に参加明治元年の明治天皇東京行幸の際はその供奉を命じられています。通化寺に来たときの兵員は二百五十人、総督は高杉晋作でしたが、藩府は間もなく、兵員三百三十人に増員、毛利幾之進を総督、石川小五郎を副総督に任じています。
 四境の役では、遊撃軍は芸州方面防御の主力となり、慶応二年六月小瀬川に出陣、小方・玖波・大野の幕軍を撃破、二十日市に迫らんとしたとき休戦となり、翌三年二月に凱旋この役の勝利こそ、まさに近代日本の幕明けを象徴するものでした。

高杉晋作詩書
殱賊興正非我
功幸随驥尾
全斯躬豊
公事業君無
怪一片機
心今古同
訪遊撃軍諸君
即吟
東洋一狂生東行

天野隆重
島根県松江市八雲町熊野(出雲国)熊野城主
天野元嘉は父天野隆重の五男で継承

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2010年08月03日