深龍寺-久芳の局之墓

概要

近所の方によると深龍寺はここで3回ほど場所が変わっており、乳母が在居していたのはここではなくひとつ前の場所で向かいの山の中腹よりやや麓にあったとの事。そこの部落もあったとの事。

錦町指定有形文化財
深龍寺梵鐘
(昭和五十年十月指定)
この鐘は銘によれば文明一七年(一四八五年)大工信吉が伊予国越智郡桜井郷(現今治市)の国分寺のために鋳造したものでその後四十八年経た天文二年(一五三三)深龍寺の開基三家本備前守胤兼タネカネが深龍寺に鐘のないのを残念に思い邑人にも拠出をすすめてこれを購入し寄進したものである。戦時中各社寺の鐘が強制的に供出させられたにもかかわらずこの鐘は貴重なものとして供出をまぬがれた。

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2010年07月29日