鞍掛戦死者之碑(鞍掛合戦千人塚)

概要

史跡 鞍掛戦死者之碑(鞍掛合戦千人塚)
 鞍掛合戦は、『鞍掛合戦実記』によれば、今から約450年前、弘治元年(1555年)11月14日(『陰徳記』には10月27日)守護大名大内氏の家臣杉隆泰・公宗珊一族郎党2600人は、戦国大名毛利元就・吉川元春・小早川隆景一族郎党7000人を迎え撃ち戦いました。
 しかし、多勢の無勢、杉氏一族は奮戦むなしく無念にも討ち死にし、鞍掛山城は落城しました。当時、領主杉隆泰は、玖珂盆地周辺に3万石を有していました。
 この谷津の地には、合戦の後、戦死者を弔うための積み石塚がいくつか造営されました。昭和8年3月14日、玖珂町が残存状態の比較的よい積み石塚の3基を改修して、花崗岩製の墓柱を建立しています。
 昭和63年、南端の1基について、玖珂ライオンズクラブが積み石塚を覆う基壇を設置する改修工事を実施しています。宇野干代の直筆による「史跡千人塚に想ふ」の追悼費は、随筆「残っている話」の中に記述があり、鞍掛合戦の悲痛さに胸打たれた想いが語られています。
 3月5日の追悼碑除幕式には、宇野女史は体調を崩して出席できず、その後、逝去されました。
平成元年3月建立
平成20年7月改修
岩国市教育委員会

  • はてなブックマークに追加
2010年07月18日