鞍掛山城(倉掛山城・蔵掛山城・藤掛山城)

概要

史跡 鞍掛合戦古戦場
 鞍掛山(二四〇メートル)は戦国時代の古戦場である。弘治元年(一五五五年)十月一日安芸国の大名毛利元就は厳島の合戦で陶晴賢軍を滅ぼし防長二国に進攻してきた最初の合戦が鞍掛合戦であった。
 大内氏の奉公三家老の雄、玖珂盆地の領主であった食邑しょくゆう三万石鞍掛城主杉治部大輔隆泰じぶだゆうは部下二千六百を率い十一月九日より毛利軍七千を迎え討ち壮烈なる戦いを挑んだが多勢に無勢遂に4日(10月27日説もある)部下の将兵千三百七十余と共にこの鞍掛山頂の砦をまくらに討死落城した。
 城主杉隆泰、父入道宗珊そうさんの墓は祥雲寺にあり部下将兵は山麓に三基の千人塚として合葬されている。
岩国市

  • はてなブックマークに追加
2010年07月18日