龍谷寺・内藤元珍が輝元の命により自刃したお寺

概要

龍谷寺(りゅうこくじ)25代大内義弘開基 慶長20年(1615)富海を領地にしていた内藤元盛は佐野道可と名を変え大阪城へ入り豊臣秀頼を助けたが敗北し京都郊外大薮村で自刃。その元盛の子「内藤元珍(げんちん)」と栗屋図書にも豊臣方への味方をした疑いがかけられ京都へ呼び出されたが、疑いは晴れ山口へ帰ることが許された。しかし藩主「毛利輝元」は元珍と図書を自刃させた。元珍はここ滝谷寺で切腹、家来も殉死した。

雪舟作庭園

寺院裏の歴代住職のお墓

天文13年(1544年)五重石塔

石の手水鉢 旧周防国富岡町、現在の周南市大字下上字武井、「武井古墳」から出土され、天保12年に寄進された石の手水鉢。周南市遠石八幡宮にも同様のものがある。

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2010年04月07日