[廿日市市]宮島町-血仏

概要

血佛(ちぼとけ)
 毛利元就の巧みな謀略にかかり、二万余の大軍をこの宮島に進めた陶晴賢は、弘治元年十月一日未明、わずか三千あまりの毛利軍の奇襲作戦にあって忽ち総崩れとなった。晴賢は三浦房清、伊香賀民部らと共に、この大元で陣を立て直そうとした。追って来た小早川隆景は、横手の谷間より羽仁越前守に攻めたてられ一時危うくみえたが、そこに吉川元春の援軍が到着し、晴賢は、乗る舟もなく僅かの家来と共に西の大江浦へと落ちていった。
 この石塔は墓ではなく明暦四年(一六五八)に建てられた供養塔で、合戦の後永らく陶方の血が流れたと伝えられるため、土地の人はこれを、「血佛」と呼んでいる。

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2010年11月03日