[廿日市市]洞雲寺

概要

洞雲寺(とううんじ)
 応龍山洞雲寺は、大内氏の重臣陶氏の菩提寺である山口県・龍文寺の僧金岡用兼(きんこうようけん)を開祖とし、桜尾城主であった厳島神主藤原教親(のりちか)・宗親(むねちか)父子により、長享元年(1487)その菩提寺として創建された曹洞宗の禅院である。金岡禅師は当時、名僧として名高く、本山永平寺の諸伽藍(がらん)の復興をなしとげ、また、阿波国(徳島県)守護大名細川成之(しげゆき)の帰依(きえ)を受け、同国の丈六寺と桂林寺も管轄していた。
 現在、洞雲寺に所蔵されている「正法眼蔵(しょうほうげんぞう)」(県重文)は、禅師みずからがこの桂林寺において書写したものである。
 藤原氏は宗親のあとも代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって大内氏がこれらの寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄(もとすみ)、ついで元就(もとなり)の四男元清(もときよ)が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺と同じように保護したため、寺には40通に及ぶ戦国期の貴重な古文書(県重文)が残されている。
 また、寺内には、藤原興藤(おきふじ)、桂元澄、毛利元清夫婦の墓や陶晴賢(すえはるかた)の首塚(いずれも市重文)などがあり、戦国期の興亡の姿をいまに語りかけている。
 これらを含め同寺には現在、県重要文化財7点、市重要文化財7点がある。
 昭和63年3月 廿日市市教育委員会

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2010年11月03日