[廿日市市]洞雲寺-陶晴賢之墓

概要

陶晴賢の墓 (市指定史跡 昭和50年1目14日指定)
 陶晴賢(はるかた)は戦国時代の武将で、陶興房(おきふさ)の二男である。大内氏の重臣として活躍していたが天文20年(1551)8月、大内義隆父子を襲い自刃させ、大内氏の領国を制圧した。
 弘治元年(1555)10月の「厳島合戦」で、水軍に勝る毛利元就の奇襲戦に敗れ、厳島で自刃し、桜尾城において首実検の後、この洞雲寺(とううんじ)に葬られた。
 陶晴賢の墓は最初は首塚であったが、後に現在のような宝篋印塔を墓石としている。墓石は三段の花こう岩製と安山岩製の基壇の上に立ち、印塔自体は軟質な安山岩製である。
 総高129cmで、この宝篋印塔は基礎部と塔身部がつながり、笠部も軒が厚くなるなど、各部に形式の退化したところや、また風化した跡が認められる。歴史上著名な武将の墓として貴重である。
平成12年3月
廿日市市教育委員会
ふるさとの文化財を守りましよう

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2010年11月03日