[廿日市市]宮島町-塔の岡

概要

千畳閣
此の建物は 天正十五年(一五八七)に豊臣秀吉公が安国寺恵瓊に命じて建立したもので俗に千畳閣といいます。桃山時代の豪放なもので重要文化財であります。秀吉公の気風をよく現した建物ですが、途中で秀吉公が逝去した為未完成のものです。この千畳閣は元来大経堂(読経所)として建てられたもので仏像を安置してありました。明治初年神仏分離の際仏像は大願寺に移し豊臣秀吉公を祀って豊国神社と稱し、毎年九月十八日に例祭がおこなわれます。

塔の岡(とうのおか)
 五重の塔があるのでこの丘を塔の岡という。毛利元就が陶晴賢を襲撃した厳島合戦の古戦場である。
弘治元年(1555)9月21日晴賢は大軍を率いて上陸し、ここに本陣を構え、毛利方の宮尾城を攻撃した。
元就は主力をもって、同30日夜暴風雨をついて包ヶ浦に上陸し、翌朝未明博奕尾(ばくちお)を越えて襲い掛かり陶軍は不意をつかれて大敗した。この合戦で内海地域の制海権は毛利の手に移った。

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2010年11月03日