[広島市]佐伯区海老山公園-三十人塚

概要

三十人の墓(さんじゅうにんのはか)
 安芸国の毛利元就と周防国の陶晴賢との「厳島合戦」の前に、毛利氏の家臣に宍戸孫六と呼ばれる武将が海老山に城を築いていました。陶氏は三万の軍勢を集め毛利氏との合戦に備え、宍戸氏の居城を攻め尊い人たちが犠牲になりました。その数は30人であったとされ、武士の遺骸は海老山に土葬され、埋葬された後に村民により墓石が建てられました。今でも桜の木の下には当時を偲ぶ五輪塔が集められ、地元で大切に供養されています。
「いつかいちの民話とくらし」より引用
文責:五日市西国街道散策倶楽部

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2010年11月03日