清鏡寺(清水宗治)

概要

真言宗 清鏡寺古くは吉祥寺と称した。後に毛利藩寄組士立野村給領主清水士の先祖で、天正十年(一五八二)羽柴秀吉の「高松城の水攻め」で知られる備中国(岡山県)吉備郡高松城の城主、清水宗治の菩提寺となり、宗治の法名「高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士」によって山号を高松山、寺号を清鏡寺と改めた。今もなお、清鏡寺には宗治の位牌が安置されている。境内の裏には嫡子景治が建立した、宗治のほか、高松城で殉死した家臣らの供養塔があり寺宝として宗治の乗鞍、高松城の陣鐘がある。昭和五十四年四月一日 

光市観光協会

光市指定有形文化財(建造物)清水宗治主従の供養塔(しみずむねはるしゅじゅうくようとう)昭和五十八年七月二十六日指定 この供養塔は玉垣の正面奥に宝篋印塔一基と石殿三基、左側に宝篋印塔三基、右側手前に宝篋印塔の基壇を配置している。石質はいずれもも安山岩で、形態、彫成技術とも近世初期に代表されるものである。正面奥の宝篋印塔は、高さ一四四センチの中型の完存品で、基礎の格狭間に金剛界の四方仏種子を刻しており、「高松院殿救溺祐君清鏡宗心大居士」(たかまついんでんきゅうじゃくくんせいきょうしゅうしんだいこじ)(宗治)のものと思われる。天正一〇年(一五八二)秀吉の水攻により備中高松城(岡山市高松)で没した清水宗治主従の死を悼み、これを追善供養するため宗治の嫡子景治が、菩提寺である清鏡寺に建立したものである。昭和五十八年九月一日 

光市観光協会

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2010年07月06日